日記のようなもの

遅咲きです

興奮と静寂

書店に行くと読みたい本が増えてしまう。気になった本を全部読む余裕はない。頭があまり働かないし、集中できない。本に救いを求めているところがある。本はぼくを救ってくれない。ぼくを救うのはぼくはだ。それでも本を読もうするのはなぜ?なぜだろう?

本には所有することが喜びになる本がある。それはだいたいハードカバーの本だ。『心の治癒力』というチベット仏教の本がある。去年の2月からある。最古参だ。時々目次を見て、その時の状態に合う部分を読む。気持ちが落ち着くことが多い。落ち着くだけだけど。『極北』というシベリアを舞台にしたと思われる小説がある。村上春樹訳。まだ途中までしか読んでないけど、引き込まれる。引き込まれるって言ってる割には他の本に寄り道している。この本は落ち着くというより、心が静かになる。今のところは。

ミシェル・ウエルベックの『闘争領域の拡大』を読んだ。これは所有する喜びとは関係ない。主人公と仕事でコンビを組むことになった見た目のよくない男がセックスをしたくてたまらない話。というように記憶している。最後には交通事故で死んだ。何だよその終わり方。この男は28歳で童貞だったはず。別に28で童貞だっていいじゃないか。ぼくも童貞だからやりたいとは思うけど、やったから何だよ?とも思う。

その後『素粒子』を読んでいるけど、読むのをやめようかと思っている。もうセックスはいいよ。それに前著より難しい言葉が多いし、話が複雑で。

本を所有するのは大変だ。溜まってくると捨てたくなる。残しておきたい本まで捨てたくなる。だから最近kindleを買うようになった。しかしこれで解決とはならない。紙しかない本がある。それは仕方ない。でもkindleがあるのに紙で読みたくなる本があるのだ。厄介。

タイトルと内容が合っていないような気がする。でもぼくの気持ちとしてはそうだ。終わり