日記のようなもの

遅咲きです

見るとは?

寝る前にAVを見てしまい寝るのが遅くなる。ああいう一方的なのは性欲処理にはいいけど、どうなんだろう。そうじゃないのは性欲処理に向かない場合がある。現実はそうじゃないのがいいと思う。コミュニケーション。9:35起床。

スタバ。777円。先週行った時も777円になった。狙っていない。先週とは別の物を注文した。店員さんに「トリプル7ですね」と言われた。照れ笑い。パンプキンタルトとスイートポテトシフォンケーキが消えていた。かぼちゃ…いも…秋が終わった。寒い。

雑貨屋でマグカップに一目惚れした。持ちやすい。色のつき方がいい。大量生産の物ではなさそう。島根県産。でも今の生活には必要ないかも。ひとりだし。水しか飲まないし。部屋で音楽を流しながら、本を読みながら、あのマグカップで水以外の飲み物を飲みたい。近いうちにそういう生活にするんだ。

ルナールの『博物誌』を読んでいる。生物についての短い文章がたくさん詰まっている。説明するのに何かに例えていることが多いんだけど、その例えがわからない。まあそれでも読むんだ。これは宿題。学生ではないけど、今ぼくには宿題が出されている。この宿題の意図はこの本がどうというより、物を見て、それを表現することについて考えることだと思う。

最近頭の一角を「見るとは?」が占めている。目を開くと見える。見えているだけ。何かを意識的に見る。でもただ見ているだけ。スマホで写真を撮る。写ったものは確かに目にしたものだけど、写ったようには見えていない。動画を撮る。画角が狭くなって、目にした時と遠近感は近くなる。でも画面は四角に切り取られる。視界は四角にはならない。カメラで写したものは現実のようで現実ではない。なぜ撮るのか?ぼくはちゃんと見ているのか?見ていない。そもそも見るとはどういう仕組みなのか?ということで、『「見る」とはどういうことか』という本を買って読み始めた。